2014年11月 Intoxicated Lotus
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ご覚悟!

01.静かなる逆襲
02.自由へ道連れ
03.走れゎナンバー
04.赤道を越えたら
05.JL005便で
 和訳
06.ちちんぷいぷい
07.
08.いろはにほへと
09.ありきたりな女
10.カーネーション
11.孤独のあかつき
(信猫版)
12.NIPPON
13.ありあまる富


 前作『三文ゴシップ』から約5年半、椎名林檎の5枚目となるオリジナル・アルバム『日出処』が届けられた。日出処とはすなわち太陽が昇る極東、つまり我らが日本のこと。そんな堂々としたタイトルを冠した本作は、和洋折衷・ごちゃごちゃしたコラージュが目立つなかにも、日の出をバックに勝ち誇った彼女の表情がインパクト大なジャケットを看板に据えている。そのデザインからは、最近ますます混沌を極めている現代だからこそ、お天道さまの下、目抜き通りの真んなかを闊歩しようという意気込みが伝わってくる。それは収録曲からも明白で、これまでの彼女であれば、作風にそぐわないと判断した場合、たとえシングルであろうと収録を見送っていた。しかし本作には前作『三文ゴシップ』の際に収録を見送られたM13「ありあまる富」以降のシングル表題曲すべてが収録されており、もはや半ベストのような内容である。それは"新曲を多く作る気力がなかった"などという”アルバム”というフォーマットに対する冒涜のような理由からではなく、筆者はひとえに彼女の近年のシングルが一貫したテーマ性を持っていたからだと思っている。それは生きることであり、そしてその営みを続けることである。だからこそすべてのシングルがそれぞれの色をヴィヴィッドに主張しつつも、アルバムとして見たときに、それこそ浮世絵のような、美しく壮大なまとまりを持ってそれらは聴き手を圧倒してくるのであろう。そもそも、椎名林檎という音楽に関してはストイック極まりないアーティストが、”アルバム”というひとつの芸術であるフォーマットに、一切の妥協を許すはずがないのだ。
 さて、現段階での筆者の本作における発見は、彼女お得意のコントラストが効いた作品であるということと、一枚を通してストーリー性があるということだ。まず、冒頭のM1「静かなる逆襲」は本作のあらすじ。物語のはじまり、気力に満ち溢れたM2「自由へ道連れ」の次は気力を失ったM3「走れゎナンバー」。地球を縦に繋ぐM4「赤道を越えたら」の次は地球を横に繋ぐM5「JL005便で」。お遊び曲のM6「ちちんぷいぷい」を挟んで、M7「今」は過去と未来のあいだ、母になる前とそのあととのあいだ、そして新曲だらけの前半とシングル曲だらけの後半とのあいだ(レコードでいうA面とB面とのあいだ)を表している。また、無彩色が三原色となって永遠になるこの曲に対して、M8「いろはにほへと」では三原色を引き合いに出しつつ、無色透明な命に永遠はないと歌っている。母となったM9「ありきたりな女」の次は芽生えゆく母性を歌うM10「カーネーション」。また、夜を感じさせるこの曲の次は夜明けを歌ったM11「孤独のあかつき」、そして日が昇って晴れ上がったM12「NIPPON」で盛り上がりは最高潮になり、M13「ありあまる富」でエンドロールを迎える。
 以上のような流れになっており、難解さは一切感じさせない、より幅広い聴き手へのHITを狙った、王道ド真んなか、堂々とした構成である。また、考えるより感じろと言わんばかりの矢継ぎ早な展開にはギャップレス再生がおおいに貢献しており、50分ちょっとが本当に一瞬だ。それでは、1曲1曲について触れていこうと思う。

 再生ボタンを押すと、M1「静かなる逆襲」でゴージャスで華々しい幕開け。歌詞にはTSUTAYAやスターバックスといった日常を感じさせるワードが散らばっており、これまでの彼女の作風を思うととても斬新。東京に住む女の堂々とした生きざまをやさぐれ気味に歌い上げ、最近のなんでも叩かれなんでも不謹慎だと言われる風潮に、心のなかで思い切った蹴りをかましている。その心のうちに秘めた獰猛さが痛快で、そしてそれこそが本作のお天道さまの下で堂々と目抜き通りの真んなかを闊歩するという強気な姿勢を提示しているのである。あれこれとやかく言ってくる外野なんざ気にしてなんかいられないっ!! とばかりに様見さらせ天晴よ東京と巻き舌で歌い切るサマは本当にキマっている。間髪入れずに警鐘を鳴らすかのようにはじまるM2「自由へ道連れは、以前「ギターがギャンギャン鳴っているような曲はもう卒業した」といった旨の発言をしていた彼女はどこへやら、これまで以上にギャンギャンしたギターがつんざく疾走感溢れるロック・ナンバー。この生き急ぐかのような曲のサビが待ち切れないではじまるのは本当に最高で、最初から最後までヴォーカルがウズウズとしている。配信限定だったこの曲がCDで聴けることを、筆者はこのうえなく嬉しく思う。続くM3「走れゎナンバー」はタイトルが物議を醸した曲で、椎名林檎がギャルのような小文字を使うなんて、と話題になった。しかし”ゎナンバー”とはそもそもレンタカーのことを指しており、車のナンバーに対して文字が小さく見えるがために小文字にしたとのことで、別にギャル化したわけではなさそうだ。しかし小文字のことも踏まえて、休日を使ってみんなで旅行した先でレンタカーを借りて、わくわくドライヴする様子を歌ったゆるふわ系の曲なのかと思っていた筆者は、曲を聴いてカウンターパンチをお見舞いされた。この曲は実際は何もかもに疲れた主人公がレンタカーで樹海へ向かうという自殺を匂わせる曲で、ファンクの効いた陰鬱でねっとりとした仕上がり。それでもサウンドがクールで、歌詞にiPhoneが出てくるスタイリッシュな仕上がりのため、決して聴いていて暗い気分になることもない。個人的に環状線脱出したい。JCTは大渋滞。のリズム感や語感は、「丸の内サディスティック」でいうマーシャルの匂いで飛んじゃって大変さのようでとても気に入っている。そしてM4「赤道を越えたら」は初期の椎名林檎作品にラテンでジャジーな味付けをしたような曲。決して相容れない両者の関係性ながら、それは背中合わせの切っても切り離せない繋がった関係性で、だからこそさまざまな多面性のなかで地球は回り、世界は変わらず営まれていくということを枯れた声で歌っている。そのドスの効いた歌声に、東京事変の「今夜はから騒ぎ」を思い出したのは筆者だけではないはずだ。続くM5「JL005便で」は英語詞。JL005便とはJALのニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港と成田国際空港とを繋ぐ航空便のことであり、若すぎた恋に思いを馳せている。主人公が今飛行機で空の上にいることを表すかのように、曲は浮遊感のあるエレクトロニカ仕様。そしてストリングスが主人公の密やかな感傷を奏でている。どこか東京事変の「現実を嗤う」チックだ。続くM6「ちちんぷいぷい」は「積木遊び」「ストイシズム」のようなお遊び曲といった立ち位置で、「密偵物語」調の曲に乗った小悪魔的な歌詞が非常に遊んでいる。たとえばモノホンといった表現が出てきたり、箒や呪文などもう使わないのよと「女の子は誰でも」よりしたたかになっていることを匂わせ、⌘251ならばちょっとひと捻りと一見意味不明なフレーズ(ちなみにはMacに搭載されているコマンドキーのこと)も、実はDm7→G7→Cm7と進行するコードのことで、そのフレーズをそのコードに乗せて歌ってみたり、高飛びするわのあとに転調して2つキーを上げて⌘+2何処へ飛んで行くべきかもと歌ってみたり、その遊び心まで小悪魔仕様である。途中で入る\リンゴ~ゥ!/という合いの手はライヴで盛り上がること必至、東京事変でいう「某都民」や「OSCA」のような立ち位置の曲である。そしてキメのフレーズSHAZAMは手品師が技を披露するときの決めゼリフであり、おそらく現在iPhoneのiOS8以降Siriに標準搭載されている同名の音楽検索サービスShazamとかけているのであろう。芸名が林檎なだけあって、Apple社と縁深い歌詞である。
 折り返し地点のM7「今」は元々は英語で作詞され、ライヴで先に披露されていた曲。それが日本語詞となって、アルバムの核となる位置に配された。シンプルな曲であるがゆえに、彼女の歌力、そして美しい歌詞の世界観により一層圧倒される。過去の黒と未来の白が三原色に溶け合う今を切り取った、最も美しく、それでいて瞬きひとつで過去に変わってしまうという、とても果敢無い1曲だ。
 さて、ここからはシングル群のオンパレード、ベスト盤のような佇まいでありながら、そのどれもが瑞々しい後半に突入する。M8「いろはにほへとは「歌舞伎町の女王」が京女になったかのような和風の曲調で、青い空甘い果実赤い空黄色い百合それぞれに対する問いかけは、どれも訊ねている内容は同じでありながらも、それぞれ表現が変えてあって非常に味わい深い。さまざまな色(=”今”)を生きる無色透明な命も決して万代不易(えいえん)ではなく、その終わりを感じさせる、美しくも果敢無く、そしてどこか恐ろしい1曲だ。もちろん、日本に古来から伝わる「いろは歌」を基に作られていることは言うまでもない。続くM9「ありきたりな女は先行シングルとして配信された曲で、配信版よりもアウトロが短くなっている。女は誰ひとり欠けることなくそれぞれの人生の主演の女。豊かな感性を持って生まれ、自分は他のその他大勢とは違う特別な人間なのだと若さゆえに感じ、それを源に女優として輝いていたもろもろを”母親”になったその瞬間にすべて失い、なんら特別ではないありきたりな女になってしまったと歌いあげるミュージカル調の曲であるが、ただ喪失を嘆く歌かといえばそうではなくて、代わりに子どもというかけがえのない存在を授かり、いわば自分の母親からありきたりな女・母親という役名を襲名した心情をも歌っているという、どこまでも女優カルチャーに根ざした、女の人生の流れを切り取った1曲だ。何故なら、引退を表明した女優は、表舞台からは去れど、そのあとはひとりの母として新たな人生を送っている人が多いからだ。女優時代の幸せと、そのあとの幸せとはまったくの別もの。その事実と心情とを上手くリンクさせた、椎名文学の傑作のひとつだと筆者は思う。次なるM10「カーネーションは震災後最初のシングルということもあって、彼女が引退を取りやめたきっかけとなった9.11のときにも感じた、たとえ悲惨な事態になろうとこの人・あの人だけは無事であってほしい、健やかであってほしいという誰しもが抱くエゴ・願いを独りごとのように綴った曲だ。そしてそのエゴ・願いは決して悪いことではなく、自然なこと。そのようなときに全員が無事であることを願えるほどの余裕はほとんどの人が持ちあわせておらず、その瞬間にふと安否が心配になる人の顔が頭によぎる人のほうが大多数だ。この曲の場合、母性の象徴であるカーネーションがタイトルになっているため、自分の子どもがそうであるよう願っているのであろう(ちなみに9.11についての心情は、東京事変名義の「夢のあと」で歌われている)。続くM11「孤独のあかつき」はストレートなポップ・ソングといったところで、シンプルにダイレクトに言葉が響いてくる。命の短さ・儚さ、それゆえに一生懸命生きろ・正直であれと尻を叩いてくれる曲なのだが、本作には中山彦と斎藤ネコによるアレンジが加えられた(信猫版)―ノブネコバン―として収録されており、歌詞は英訳されている。また、音も彼女自身による打ち込みが主体になっていて、全体的にピコピコしており、テンポも原曲より速い。それゆえ命の短さ・儚さはより強調されたが、ストレートでダイレクトに伝わってきた歌詞が、英語になったことでそこまで響いてこない。気づけば終わってしまっている、そんな仕上がりになってしまっている。M10「カーネーション」と続くM12「NIPPON」との繋ぎのような立ち位置にしたかったのかもしれないし、そうであるならその意図はよくわかる構成なのだが、そのために正直であれと歌うこの曲自体の正直さが損なわれてしまった気がして、そこは少しだけ残念に思っている。しかしそれをも吹き飛ばしてくれるのが、本作のクライマックスにしてハイライト、M12「NIPPONである。どこまでも広がる晴れやかな空を思わせる爽快感と疾走感、そして聴き手を少しも抑えて居らんないのと急き立ててくるストリングス隊は一陣の追い風のようで、それは終盤の追い風が吹いているの部分で確信した。最後には紙吹雪が舞い散っているようで、しかしそんなふうに荒ぶる情熱を抱えていようと決して暴れることはなく、直立不動で目の前を見据え、闘志を燃やす我々日本人の美――それは死を前提に、逆さに数えて今を生きているから。だからこそどこまでも爽快で、純粋で、そしてクライマックスである。筆者は毎回、転調後に感極まって泣いてしまいそうになる。それほどまでにこの曲は美しく、そして名曲だと思っている。最後はM13「ありあまる富だ。この曲はもう5年以上前の曲で、しかも前作『三文ゴシップ』には収録されず、今後も「真夜中は純潔」のように宙ぶらりんなシングルだと思っていた。しかし今回本作に収録されたのは、すべてがこの曲に帰結するため。本作の物語のエンドロールである。シンプルな曲でありながら、彼女の哲学がこれでもかと詰まっている。前作でいう「」の立ち位置で、生きているうちはずっと旬というメッセージはそのままに、同時に死んだら何もかもおしまいだと歌っている、生きていることへの賛歌である。誰がどうしようと何を言おうと、自分が持つ命の価値は決して他者などに汚されることはなく、それはまさにありあまる富であり、そしてそれはまた、M1「静かなる逆襲」のテーマにも繋がって、生きている限り、それは終わりなくループしていくのだ。

 以上、アルバムを通して聴くと、より本作のテーマは浮き彫りになる。特に後半は母性を強く感じさせる内容で、娘の出産を経た”今”の彼女にしか作れない・演じられない辺りは”今”の彼女が色濃く反映された私小説的な作品にも思えるし、また、彼女がM1「静かなる逆襲」の元となる「果物の部屋」を作った18歳から36歳を迎える”今”までを描いたひとつの物語のようにも思える。そしてこの物語の場合、聴き手の誰もが主人公になりうる。堂々と人生を謳歌しようじゃないの、だって私たちが生まれた場所は、この日出処、NIPPONよと、すべての日本人にHITするストレートなメッセージが実に明確で、だからこそこんなにヴァラエティに富んだ内容であっても、生きとし生けるものすべてが持つヒリヒリとした統一感が、本作にはしっかりと腰を据えているのだろう。
 また、豪華なミュージシャンやアレンジャーも本作の華々しさに大きく貢献しており、彼女は彼らが主役となるパートを必ず設けている。だからこそ彼女の曲は間奏やアウトロが長いのだが、M1「静かなる逆襲」ではそれをわかりやすく提示するためにサビの最後(つまり間奏の直前)にGUITARHORNといった前振りを入れている。そうやって大活躍している演奏家たちの名前は、是非クレジットで確認したい。そして、意図しているかどうかは定かではないが、空耳効果がふんだんに盛り込まれている。例えばM3「走れゎナンバー」における要は自分さえも。ハザード。はiPhoneという文明の利器が出てくる今風の内容から要は自分さえも。恥ずい。と若者言葉に空耳するし、続く英語をふんだんに取り入れ、かつ正反対同士の繋がりを歌ったM4「赤道を越えたら」では今日も裏表今日もLOVE AFFAIRに聞こえる。また、M12「NIPPON」では最後のnative homeNIPPONに聞こえるし、こうして、彼女の歌詞は空耳でさえも曲の意味を正しくもたせることができるのだ。こんなこと、歌詞カードが手元になければ楽しめない。
 つまり何が言いたいかというと、CDは手元に置いておきたいということだ。そもそも筆者は、アルバムというフォーマットは、100メガ前後でDLされるお手軽なものではなく、もっと重みのある芸術作品だと思っている。古い考えかただと言われることを承知で書いているが、アルバムはフィジカルで購入し、手元においてすみずみまで堪能するに限るのだ。正直リリース前は「シンメトリーが汚い」だの「椎名林檎がタイトルに小文字(笑)」だの散々なことを思っていたが、お天道さまに恥じることなく、自分の信念に忠実に、堂々と目抜き通りの真んなかを闊歩しよう――ここまでハッキリ日本人に訴えかける作品が悪いわけがない。まさに天晴、最高のアルバムである。正直『加爾基 精液 栗ノ花』や『三文ゴシップ』は聴き手を選ぶアルバムだったが、本作が持つ王道っぷり・瑞々しさはまさしく大人版の『無罪モラトリアム』『勝訴ストリップ』といった形容が相応しい、初期を感じさせる仕上がりだ。ここまで完成度の高いアルバムを届けられてしまっては、五体投地して謝罪するしかない。こんな傑作を出してしまって、このあと突然パッタリと引退してしまわないか心配になってしまうほどだ。あっという間で、かつ濃厚な50分05秒(筆者のCDは50分04秒だが、きっとシンメトリー・フリークな彼女のこと、実際は50分05秒なのだと思っている)の鮮やかな晴れ間。本作を聴いて気に入った人ならば、きっと筆者の感想をわかっていただけるであろう――天晴よ林檎!




 14/11/07
 是非ナタリーの素晴らしいインタヴュー記事もご覧ください。

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